東京の小学校受験は、今週のラスボスで終わりになりましたね。
今年が受験の年だった方お疲れさまでした。
5年前の小学校受験
うちの子が小学校受験をしたのは5年前。
しかもコロナ前の時代なので色んな方式が今とは違っており、最近下のお子さんの受験を終えられた方とお話すると隔世の感があります。
我が家は受験を決めたのが遅く、年長の4月~秋にかけて一気に駆け抜けたような気がします。
そして比較的短い準備期間ではありましたが、お教室代で一気に諭吉さんも飛びましたねー。
娘自身のお受験の思い出
花子さん曰く、この秋、学校のお友達とお受験の思い出話になったそうです。
みんな詳細に試験内容、出会った子のこと、受け答えを覚えているなか、花子さん全然覚えてないと。
花子さん早生まれでとりわけ月齢低かったからかな。にしてもほぼ覚えていないのは、緊張感がなかったからかもしれません。
ただ「自宅で制作の練習をたくさんしたこと」は覚えていると↓
こぐま会の教材には本当にお世話になり、よく恵比寿のショップで買い物しましたね。
うちのメイン教室はこぐまではありませんでしたが、一度だけ単発レッスンで代表の久野先生の授業を受けれたのは思い出です。
また「お母さんが動物のお守りを作ってくれたことも覚えてる」と。
↓まさにこの本を使ってお守りマスコットを作り、模試や本番は持って行っていました。
ペーパーもそれなりにやってもらったのだけど、その記憶はあまりないそうです。え?え?
しかしながら娘にとってお受験対策の日々が、嫌な記憶ではなかったことにほっとしました。
親同士もお受験話できるようになってきた
先日同じ学校の保護者の方とお茶したとき、小学校受験の思い出話となりました。
1~4年生の間は「触れてはいけない」雰囲気であまり相手に聞くことはなかったのですが、今回は色々とごきょうだいも含めた合否のぶっちゃけトークが出ていました。
きょうだいが別の学校だったり、ご自身の出身とは別の学校だったり、今まで「どうして?」と思っていたことが、時間という薬のおかげでオープンにできた感じでしょうか。
やはり小学校受験は水物、親のせいでもないし、もちろん子供のせいでもない。
ただ枠が非常に限られているから「まさかもある」。
そして狭い枠を潜り抜けても、小学校生活を送る中で色々問題が出てくることもある。
小受で一定基準をクリアできたことが、その後の堅実な成長を約束するわけではない。
だから小学校受験はあくまでも通過点だということを再認識しています。
今回思うような結果でなくとも
今年受験を終えられて、思うような結果でなく落ち込んでいる方もおられると思います。
けれど親が思っていた学校が、本当にお子さんにとって幸せな場所とは限りません。
誰もが憧れる難関校でも残念ながら学校生活でのトラブル、不登校、転校など見聞きします。
どうして入れたの?というようなトラブルメーカーのお子さんもいたり、半日程度の考査では判断付かかないのね…という気持ちになります。
通過点ととらえて、今後の健やかな成長を一心に考え前を向いていきましょう。