ずっと見たかった映画「国宝」。大晦日に家族で観てきました。
2025年6月6日公開で11月末時点で実写の邦画映画では興行収入歴代1位となったそうです。
1位を塗り替えたのは22年ぶりだそうで、時代とともに映画産業の斜陽化も言われる中で素晴らしい功績ですね。
先入観なく見たかったので、できるだけ事前に他の方の感想などの情報は読まないようにして臨みました。以下はそんな真っ新な状態で鑑賞した感想となります。
血筋なのか、才能なのか?
歌舞伎の世界は「血筋」というものが大事にされ、今でも世襲がある世界。独特ですよね。
作品では歌舞伎一家に育つも無心に努力を重ねられなかった御曹司・俊介(横浜流星さん)と
家柄はないが才能はあり芸を極めることに没頭する一般人・喜久雄(吉沢亮さん)の二人の対比で話は進んでいきます。
同じ歳の2人は少年時代こそ、「血筋」という差は小さく感じていられた。そのため仲良く切磋琢磨できた。しかし歳をとるにつれその「血筋」の力を否が応でも直面させられ、軋轢が生まれていく。「血」というのは背負うものであると同時に、自分の立場を守ってくれるものなのです。
途中で二人の師匠であり、俊介の父でもある歌舞伎役者の半二郎(渡辺謙さん)が、2人が大舞台を踏むにあたって声を掛けるシーンがあります。
息子・俊介に向かっては「血が守ってくれる」と言い、
一方で喜久雄に対しては「芸が助けてくれる」と言います。
そこが象徴的でした。
歳月の中で喜久雄と俊介は、片方が隆盛すると片方が没落するような、陰と陽の存在になってしまいます。少年時代の本人たちが望まないものに周りからさせられてしまうのです。
歌舞伎のように「家」を重んじ、「世襲」が大前提である職業は今の日本では少ない。
ため、外の人間から見ると不条理に思える序列です。
しかし物語中の俊介の母(寺島しのぶさん)ら中の立場から見ると、長く守るためには理屈を通しやすい論理で、崩してはならないものなのでしょう。
芸のためには何もかも捨てる、悪魔と取引をする
喜久雄は、任侠の父を抗争で目の前で殺され、実母も病気で亡くし(原爆症と言っていましたね)、天涯孤独の身。出自も任侠、背中には入れ墨で、引き取られた歌舞伎の世界以外に身を立てるのは難しい。なおかつ本人も歌舞伎の世界に魅了されている。
彼は芸の道に生きることを決意しており、そのためには何もかも犠牲にすることを選びます。
途中、幼いわが子の前で「悪魔と取引をした。芸を極めるためには他の一切はいらない」ということを言うシーンがあります。
その言葉通り、彼は愛してくれた女性や子も捨て、利用できる女性は利用するという形でどん底からのし上がっていきます。
悪魔との取引、その決意によって彼は晩年には「人間国宝」まで上り詰め、この世のものではないような美しさと残酷さを兼ね備えた姿で舞台に鎮座します。
父が眼前で殺された時と同じ粉雪が舞っているのか、あるいは舞台上の紙吹雪の効果なのか、どちらともとれるような美しい景色の中、「国宝」は佇むというラストシーンで幕を閉じました。
映画の中では何度か粉雪か紙吹雪かのシーン「白」が挿入され、そのコントラストとしてメイクの紅(唇や目の周り)や血といった「赤」が鮮やかに挿入されるのが印象的でした。
ラストのシーンは背景が「白」のなか、国宝が「赤」の意味合いなのかと思いました。
途中で出てきて「病気」のことを考察してみる
師匠であった花井半二郎(渡辺謙さん)は、糖尿病を患い、目が見えなくなる、歩行も難しくなるという状態になります。
これは糖尿病性網膜症(現在日本の成人失明原因第一位)によるものと、糖尿病性末梢神経障害によるもので、医学的には適正な設定です。
最後、舞台上でドラマチックに血を吐いて亡くなるのですが、これは「食道静脈瘤破裂」による吐血でしょう。
糖尿病とはダイレクトにはつながりませんが、おそらく職業的に大量の飲酒や不規則な食事時間というのがあり糖尿病になったことを考えると、アルコール性肝硬変→肝硬変→食道静脈瘤。
あるいは時代的にはC型肝炎→肝硬変→食道静脈瘤かなと思いました。
息子である俊介も重い糖尿病となり、脚壊疽による片脚切断、さらに残ったもう一方の脚も最後の舞台では壊疽した状態になります。残った足先の状態が悪いことを表す特殊メイク(爪の状態、皮膚色調変化)がリアルでした。
そして舞台ラストにそのまま息絶えてしまうのですが、「糖尿病性ケトアシドーシス」かなと思いました。
舞台の緊張・ストレスというトリガーがあり、その中でも本人希望で舞台を降りずに数時間続行することで、致命的になったのかと思います。
いずれにしても歌舞伎の家業は、舞台に合わせた不規則な生活、食事時間もバラバラ、ストレスも多い、時代的にも宴席で派手に遊ぶのが役者だとされ、血糖コントロールが難しかったのでしょう。また病識が乏しく、生活改善ができず、服薬も十分出来ていなかったのかもしれません。
「血筋」を大切にしている歌舞伎の一族が、その「糖尿病」になりやすい素因や悪化しやすい生活習慣まで「血筋」として引き継いでしまい、親子で亡くなってしまうというのは何とも皮肉です。
「血」は守ってくるものであると同時に、運命を半ば呪いのように縛り付けるものでもあるのです。
偶然にも大晦日の特典の「舞台挨拶」があった
今回我が家は、大晦日に近くの映画館で観たのですが、偶然にも「歌舞伎座からの大晦日舞台挨拶 ライブ鑑賞」という特典が付いたものでした。映画終了後に歌舞伎座座からの生中継をスクリーンで見ました。
映画館内のお客様たち、本篇終了後に帰ることなく皆さん熱心に生中継を見ていました。
↓この大晦日舞台挨拶は、その日のニュースにもなっていました。
「東宝」が配給した映画を、ライバル会社である「松竹」の歌舞伎座を使って舞台挨拶するというのは、とてもセンセーショナルだったようです。
この舞台挨拶では、人間国宝「万菊」を演じた田中泯さんもいらっしゃったのですが、失礼ながら存じ上げず、ただ映画内でも舞台挨拶でも存在感が抜群で、あとでネットで調べてしまいました。
舞踊家で、世界各地で踊ってきた経験があり、お年が現在80歳!それなのに主演の吉沢さんや横浜さんと並んでも、小顔で背も高く立ち姿も美しい。薄気味悪いけれど、俗世を超越した人間国宝の役にまさに適格でした。
李監督の方針で、本物の歌舞伎役者さんの代役を立てることはせずに、歌舞伎の舞台シーンは役者本人たちが全て演じたそうです。1年半におよぶ稽古を行ったそうですが、やはり1つの演目を長い尺で演じるのは何十年も稽古しないと難しい。
舞台のシーンで「顔のアップだけでなく、もっと舞が見たい」と映画の途中で何度か思ってしまったのですが、そういう事情があったためなのですね。
歌舞伎の指導は、上方歌舞伎の中村雁治郎さんが監修されています。歌舞伎としての「本物さ」にこだわって指導しつつも、歌舞伎初挑戦となる役者たちのメンタルにも気を配ってくれた、というお話を舞台挨拶で吉沢さんがされていました。
足を複数回運ぶ方がいるのも納得。ぜひ見てみてください
そんなわけで「国宝」とても心に響く映画でした。何度も足を運ぶ方がいるというのも納得です。
是非まだの方は観てみてくださいね。
原作である小説「国宝」には映画には織り込めなかったシーンも多数あり、より理解が深まるそうなので、私はこちらも読みたいと思います↓


