【3.11から10年】陸前高田市、震災遺構を訪問

旅の記録

緊急事態宣言も明け、新規の新型コロナ陽性者数も順調に減っているこの10月。

以前からずっと訪問したいと思っていた場所に行ってきました。

東日本大震災の爪痕が残る場所へ

非常に申し訳ないことに、私は東日本大震災後のボランティア活動というものに参加したことがありません。

周りには医師として直後から現地入りに手を挙げた人、その後の片づけボランティアに参加した人がいました。

私は多忙を理由に参加せず、10年という時が流れ。

でも寒くなる前にぜひ訪れてみたいと思っていた陸前高田市に行ってきました。

陸前高田市で震災語り部タクシーを利用

夫、娘、私と犬1匹で行ったわけですが、土地勘もいまいちないのでうまく巡れるか心配。

さらにできれば現地の方のお話を聞きたい、ということで語り部サービスを検索しました。

すると岩手県陸前高田市の気仙タクシーさんで、タクシーを貸切ると運転手さんが語り部として案内してくれるサービスを発見。

こちらに2時間お世話になりました↓(その間、犬は事務所で預かるというご提案に甘えさせていただきました。)

震災後にできた堤防、盛り土、新しい駅前、市役所などがある一方で、津波の恐ろしさを伝えるため残された廃墟の中学校や団地。

ここまで津波が来ました、の表示が複数ありました。(一番高いところは18mに及んだそうです。)

そして有名な「奇跡の一本松」

また津波の恐ろしさを伝える「伝承館」という立派な建物の展示物、映像も心に刺さりました。

そこにあった展示物で、陸前高田市は殉職された消防団の数が県内でも一番多かった自治体だと知りました。

陸前高田市を選んだのは、多分あの本の影響

運転手さんから「津波被害にあった町は色々あるのに、なぜ陸前高田に来られたんですか?」と聞かれて、
我ながらどうしてだろう?と思いました。

ふと思い出したのは、以前読んで心に響いたこちらの2冊の本

まず1冊目

津波被害で家族を亡くされた方がその後不思議な体験をしたことをまとめた本です。
こちらになんども陸前高田市が出てくるのです。

そして2冊目

陸前高田市の消防団の方の震災後の活動を追った、写真集です。

表紙のがれきの中を歩く法被姿の消防団員さんの背中が悲哀に満ちてますよね。

何となくこれらの本から「陸前高田市」が刷り込まれ「行ってみよう」という気持ちになったのだと思います。

現地に来てみてよかった

今回この地を訪れてみて、TVなどの動画で見てもいまいち把握しきれなかったことがパノラマとして理解でき、実際に来てみて本当に良かったと思いました。

一瞬にしてすべてを奪い去ってしまった地震と津波というものが、日常を取り戻した今の光景からみると幻のような気すらします。

そのような残酷な出来事と、今のこの平和に見える光景は、どちらも現実なのだと突きつけられるとうまく消化できないです。

この地に住んでいた方は、私以上に受け入れがたく、幾つもの葛藤や痛みがあったと思います。

まして家族を亡くしてしまったのなら、尚更何年かかっても癒えないでしょう。

ちょうど10年という節目の年で、遅すぎるではありますが、この地を訪れ、亡くなった方々のご冥福を祈ることができました。

なんの足しにもならない自己満足ではありますが、胸のつかえが少し取れたような気持になりました。


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