日本中、あちこちで豪雨被害が出ていますね。
皆様の場所は大丈夫でしょうか?
田舎で一人暮らしをしている老父
父が暮らしている場所は、私も生まれてから大学進学までの18年間過ごした場所です。
過疎が進んでいる、ど田舎です。(過疎のため私の出身高校は無くなった、というど田舎レベルです。)
先週、大雨による川の増水が全国ニュースでも報じられて、大丈夫かなと思って父に電話をしました。
電話口の父曰く、行動範囲内では特に被害はなく、日常生活を送れている、とのこと。
安心しました。
父との距離感の取り方が難しい
実は6月の父の日に電話して、父と言い争いになりました。
4月、5月に電話した時も意見の食い違いで、やはり一部分は言い争いになってます。
それらの言い争いの原因は父の持病の投薬について。
もう20年くらい付き合っている持病なのに、ここ数年は父が誤った解釈をするようになり、薬物治療が疎かになっているのです。
そのことを私は職業上も正したいのですが、父は先入観だけで医学的には誤った方向で決めつけます。
挙句には「副作用で震えるようになった」「薬中毒にされた」「人体実験された」とまで言い出す始末で、担当医のことも口悪く言うのです。
はー、どうしてこういう形に歪んでしまったのだろう?
私がいくら説明しても納得はしてくれません。
「あなたと私じゃ、考えが違うから」
父からは「あなたと私じゃ考えが違う。立場も違う。」と言われました。
何を今更、なのですが。
父はもしかして、無条件に子どもは自分の言うことを聞き、考えに沿ってくれると思い込んでるのかもしれませんね。
今まで、進学、就職、結婚など、父の考えを私に押し付けるようなことはなかったし、
女の子だから、と言って私の進路を兄たちより狭めるようなこともしなかった父。
田舎の人の割には革新的な人だと感じていましたが違ったのかな。
もう病気の話は父とはしないことに
父との電話で毎回言い争っても仕方ないので、この病気の話を父に私からすることはやめました。
そんなわけで今回の電話は穏やかに話すことができました。
一応、父から現在の担当医に娘(私)の名前などを伝えたら、担当医がすぐインターネットで検索して「東京の〇〇病院の〇〇科にお勤めの、こちらの方ですね」と割り出されたそうです。
こちらの身元も分かったようなので、何か余程のことがあれば担当医から連絡をいただけるでしょう、という気分に。
本当を言うと、医療者に迷惑をかけたり勝手な持論で治療中断してしまう父の存在が恥ずかしいです。
でもこれも老いの形の一種。
担当医もきっとこんなパターンいくつも見ているからわかって下さるでしょう。
諦めの気持ちに
もう投薬拒否によって死に至ることがあっても、それはそれで父の選択だな、という諦めの気持ちです。
実際何もしたくない、と言ってそのまま対処療法だけで亡くなる道を選ぶ患者さんも今まで何人も看取りました。
特に高齢だと家族も「嫌がっているので無理に治療しなくて良いです」と了解が得られやすいのも事実。
うちの父も85歳ですから、「嫌でも薬を飲んで長生きして欲しい」と言うのも、私の傲慢かなとも思います。
投薬しなければ、割とすぐ重篤な合併症で亡くなる父の持病ですが、本人が望まないならもう仕方ないですね。
ただ寂しいが故に、色々周りにケチをつけたり、罵倒したりすることで、承認欲を満たしているので有れば、その根本の寂しさはなんとか緩和してあげたいなと思います。