公立学校の教員のなり手が少ない問題。
「#教師のバトン」で集まったのは悲痛な叫び
「#教師のバトン」と題して、文科省が教職の魅力を伝えるSNS投稿を募ったのに、集まったのは職場環境の過酷さを訴えるものばかりだった。
そんな「#教師のバトン」の内容を読んだ方も多いはず↓
私はすぐに、夫の友人の訃報を思い出しました。
教員をやっている、夫の友人の訃報
数か月前、夫と一緒に車に乗っているとき、当然、
夫「結婚式にも来てくれた〇〇(夫の大学の同級生)、憶えてる?」
私「ああ、あの●●市で学校の先生やってる人でしょ。」
夫「あいつ先日死んだって連絡がきた。自殺した。」
私「え?」
夫「仕事頑張ってたけど、どんどんおかしくなって、出勤しないから校長が家まで行ったら自殺してたって。」
そんなことを急に切り出されて、絶句してしまいました。
夫はコロナ前は時折飲み会で会ったり、FBでやりとりを欠かしていなかったそう。
夫「FBの書込みもしばらくなかったのに、亡くなる直前に突然ハイになって書き込んでたんだよ。」
夫「ほかの教員の話だと、学校でのコロナ対応の重圧も追い打ちをかけたみたいって。」
友人が教員・元教員ばかりな夫
夫は1つ目の大学が教員養成校、その大学時代の友人は現職教員、もしくは元教員がほとんど。
(夫はそんななか珍しく一度も教職に就いたことがない人です。)
教職の悲惨さは、友人を通してよく知っている。でも死ぬことを選ぶなんてと、夫も打ちひしがれていました。
だから今回の「#教師のバトン」プロジェクトでも、現場の悲痛な声ばかり集まったというのも納得です。
先生の雑務を減らすことが大切
娘の学校は、普通の公立に比べると親のお手伝いが多いと言われています。
1年生の時、役員でとある雑務をお手伝いしたとき、公立から異動してきた先生が「今までの学校なら、これ全部教員だけでやってました」としみじみと言われて、そりゃ大変だわと思いました。
こんな感じで、直接生徒を教える以外の、いくつもの雑務をすべて先生が担うのが公立の先生なのです。
そして花子の学校は子供を預かってくれる時間もすごく短いし、長期休暇がすごく長い。
最近公立で増えている土曜日授業というのも全然ありません。
我が家的には学校の拘束時間の短さが他の習い事をやる上でとてもありがたいのですが、先生にとっても拘束時間が少ないというのはとても魅力的な環境だと思います。
夫も「この学校、教育以外の仕事をしないで済むから、そういう意味ではかなりホワイトな職場だよね」と。
そのうえ入学試験で好みの親子も選べるし、入学しても学校の方針に納得できない家庭は転出していくし、先生にとってはやりやすい職場でしょう。
実際、20年以上この学校に勤めている先生も珍しくないです。
そう考えると、いろんな家庭が集まり「教える」以外の雑務もこなさないといけない、けれど残業代も出ない公立小・中・高の教員なんて、どう考えても人が集まるわけはなく。
私立に向かう流れは加速しそう
そしてそんな疲弊した先生ばかりいる環境を避けるためにも、経済的に許される層であれば私立へという流れも今後加速しそうです。
実際、公立でのコロナ対応の不十分さ(オンライン化しなかったことなど)もあって、私立小や私立中の受験者は首都圏では増えています。
今後もこの流れは止まらないのではないかな。
しかも今の公立小、結構な割合で臨時職員が入っています。
そういった臨時職員の方も素晴らしい先生はいるとは思いますが、「担任を持たない」とか「専科だけ」という約束で入職したのに、結局ほかの先生がメンタルで休職しため担任を持たざるを得ないという話も聞きます。
これも夫の友人、都内小学校で非常勤勤務をしている人の実体験なんですけどね。
「話が違うって怒りも沸いた」「でもほかに人がいないのは分かってるから本当に渋々」「こんなに頑張っても正規採用はしてくれないから」などぼやいていました。
そんなふうな大人の事情がうごめき、先生が労働環境に納得していない教室は、結局子供が学ぶ環境としてもよくないなと思います。
最後になりましたが、夫の友人をはじめ、過酷な労働で亡くなってしまった教員の方々のご冥福を祈ります。