【パラリンピック】今まで気づかなかった世界や存在を知ることができた

世の中のこと

ついにパラリンピックも今日で閉幕しました。

熱心に見ていたわけではないけれど、夕方~夜いつもの習慣でEテレを娘がつけるので、そのタイミングで競技をいくつか拝見しました。

数年前に初めて知った「伴奏者」の存在

パラリンピックが東京で開かれることが決まって、さらにまだ新型コロナウイルス問題が持ち上がる前のこと。

メダリストをお招きした講演会に参加しました。

演者は2000年シドニーパラリンピックのリレー(視覚障がい)で銀メダルとなった星野直志さん

今までパラ競技を見たことがなかった私は、この講演で視覚障がいの場合は危険回避のため「目が見える伴走者」の存在が不可欠ということを知りました。

しかもオリンピックレベルになると、伴走者もそこそこのタイム保持者でなければ務まらない。

そんな人を探して協力してもらうことさえ、とても大変なこと。

さらに普段の練習場所に行くことさえ、視覚障がい者は安全に行くことが単独では難しい。

メダルを取ることは、本人の努力はもちろんのこと、周りの強力なバックアップや理解が不可欠と初めて知りました。

今回の女子マラソン金メダルでも伴走者さん

今回の女子マラソン(視覚障がい)でも、道下美里さんが金メダルを獲得されましたね。

道下さんが、伴走者(ガイドランナー)にまず金メダルをかけて労っている様子が印象的でした。

パートナーとして選手を守り、ペースを合わせること、危険を回避すること、とても大変な役目です。

けれど伴走者にメダルは授与されないそうで、選手の道下さんが伴走者さんにすぐメダルをかけたのでした。

水泳でも「タッパー」という存在

視覚障がい者が水泳競技をするとき、ターンやゴールのタイミングを知らせる役割をするのが「タッパー」

先にスポンジのようなものがついた長い棒で選手の体をタッチして知らせます。

この「タッパー」の存在を、今回のパラリンピックで初めて知りました。

そしてタッパーのタイミング次第で、選手がケガをすることもあるし、何よりタイムが大きく変わってしまう。

選手とともに泳ぎ、目となる必要がある、ということを、パラ水泳解説者のお話から初めて知りました。

知らない世界は沢山ある

今回コロナ禍で、オリパラを東京でやることについては、個人的には感染対策の面であまり賛成ではありませんでした。

しかし、ほぼ無観客で実施できたことは、新型コロナ対策としてはとても良かったと思います。

また今まで目を向けることができていなかったパラ競技について理解が深まったのも、よい副産物でした。

知らない世界はいっぱいあり、そこで努力している人も沢山いる。

支えている人もたくさんいる。

当たり前、と言えばそうですが、ついつい自分の日常で忙しく、周りの世界に目を向けることを怠りがちな私にとってはとても良い機会でした。

日本に身体障害者スポーツを根付かせ発展させたのは、整形外科医の中村先生!

パラスポーツについて調べて初めて知ったのは、日本で身体障がい者にスポーツリハビリを導入し、1964年東京パラリンピックを成功させたのは、整形外科医の「中村裕」医師であったこと!

パラリンピックの父ともいわれているそうです。

こちらの本を読んでみましたが↓

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障がい者にスポーツを導入しただけでなく、社会に出ていくこと、自立して仕事をすることを推し進めて、障がい者を「隠す」という日本の風習を打破しようと強い信念をもって取り組まれていたそうです。

地元大分県別府市に障がい者が就労できる場所を作るため、オムロン、ソニー、ホンダ、三菱商事と名だたる大企業の社長にアプローチし、最後にはその情熱と人柄で提携会社を立ち上げていく様は、医師というよりエネルギッシュな実業家。

「ダイバーシティ」とか「ユニバーサルデザイン」「インクルーシブ」など声高に言われる昨今ですが、そんなことを40年以上前に考え大分の地で実践してきた方がいたということに驚嘆します。


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